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「浦賀船渠ノ航跡 中止問題」考察3: いないはずの人、いるべきではない人

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はじめに

浦賀船渠ノ航跡』が「中止」に至った経緯は、説明会ではおおむね下記の説明に集約されました。

  • 権利問題により、権利元からの「措置」が仄めかされれた。その権利元がどこかは明らかに出来ない。

  • 上記の問題により、後乗りで入ってきたスタッフが11月5日前後に(ほぼ)全員が離脱した。これにより開催に窮する結果となった。

  • 11月6日?に中止を決定した。

上記の内容におそらく争いはないと思うのですが、よくよく考えると「11月5日頃にスタッフがほぼ全員離脱している」という説明があったわりには、それ自体に不自然なことがいくつかあります。

そもそもスタッフはほぼ全員離脱したはずなのにその場にいる(元)スタッフは一体何?

スタッフは開催予定日以前にほぼ全員離脱したはずなのに、なぜか人がいることになっています。

収束スタッフ is 何

「確定情報」「浦賀のスタッフはあくまでも有志で間取り持ったり、移動の手配してたりする感じ」とか、離脱したはずの人が何かをやっていることになっています。

最初のうちは、こんなとんでもないことになってしまったイベントの後始末をするために、手弁当で有志の人が頑張っているんだなあ、みたいな雰囲気になっていたのですが*1、「中止説明会」を経てみると、そもそも離脱(撤退)の経緯も異様なことになっている人たちが、それ以上に実に異様なことをやっていたのではないかという疑念がどうしても消えません。

というわけで、こちらの方は何かしらの事情をご存じのようだったのでとりあえず聞いてみました。

そして。

このやりとりのあと、 scarletshow 氏は自分をブロックされました。ブロックされるのは別に構わないのですが、「確定情報」と大見得切ったわりには、実際には「旧スタッフなどに個人的な知り合いがいて、友人関係同士の話が伝わって来たのをTLに流しただけ」というのが「確定情報」の正体であり、これはさすがに大変遺憾に存じます。

この勢いで「確定情報」よろしく流されたネタ()が他にもないことを祈るばかりです。

なぜ(元)スタッフは説明会の場にいたのか

それ以上に不思議なのは、(元)スタッフのうち何人かは「中止説明会」の現場にいたということです。

説明会で大演説をかました「スミス@長野」さんだけではなく、他に数名の方が説明会の場に居り、質問者としても登場していたとのお話をいくばくか伺っております。事前作業にまで関わった人が元スタッフであることを明らかにしない状態で質問者として登場というのは、それは著しく不誠実な行為であると思うのですが…

「中止説明会」の長野氏の発言を引用します。

(長野)えーと、それはもちろん念頭にございました。ご迷惑をおかけするということは、当然考えました。しかし、私もサークル配置作業等々をかかわっておりましたので、サークルの皆様のそういった情熱、新刊を出す、その日のために新刊を作っているエネルギー、情熱、といったものすべて、私自身が受けておりました。もちろん、開催にこぎつけたかったというのは、私の中の事実です。しかし、たとえ卑怯と言われても仕方ないかもしれませんが、私は、私が声を掛けた仲間たち、そして私自身、私の家族、そういったものに守らなきゃ、そういったものを守らなきゃならない、責任もございました。申し訳ないですが、そういった関係各位の、関係者を守るために、撤退という判断を下させていただきました。ただし、それまでに作った、それまでの準備で作ったドキュメント、あるいは準備の作業に置いてここまであれば当日の開催は可能であろうというマニュアル等々といったものは、すべて、主催には開示した上で、実際に引き渡した上で、可能であれば開催することは出来るであろうというところまでは、やったつもり、私としては出来る限りの範囲で行ったつもりです。

そこまでの判断で撤退した人たちが、どうして平然とその場に出ていられるのでしょうか? 実に不思議でなりません。本当の目的は他にあったのではないか? と思わせるくらいには不思議なのです。おまけに本来の身分を伏せて他人面して質問に立つなどとは、これ以上に不誠実なことはないと思います。

そのような所業をされた方は、出来るだけはやめに改心されて、その上で自主的なご対応がありますことを祈念するばかりです。

*1:実のところ、11月9日までは自分もそう感じていました